『左官』という名前の由来

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米金ブログをご覧の皆様お世話になっております。
総務の深貝です。

先日、子どもが購読している小学生新聞に、『左官』の名前の由来が載っていたので、ご紹介させていただきます。

<平安時代、皇族などが済む宮殿に入れるのは、官位のあるえらい人だけでした。そこで宮殿を造るとき、壁塗り職人に『左官』という官位を与え、中で作業できるようにしたといわれています。一方、木材を扱う職人は、「右官」と呼ばれていたそうです。>
と説明されていました。
気になって、インターネットでも調べてみました。
左官の起源は、人々が竪穴式住で暮らしていた縄文時代にまでさかのぼります。
当時、壁の材料である土は最も手に入れやすい素材で、その土を生のまま団子状に丸めて積み上げていき土塀を作ったのが左官工事の始まりです。
【名前の由来の説】
①官職として与えられた
昔は官邸に出入りするためには、何かしらの官職が必要でした。そこで、建築の壁塗りに携わる人に「左官」という官職を与え、その名称が現在でも使用されているという説です。

②大工を右官と呼んでいたから
建築において、骨組みを作る大工のことを「右官」と呼んでいたことから、それに対して壁塗りの職人を「左官」と呼ぶようになったという説です。ただし、大工のことを右官と呼んでいたという事実は文献などで確認されておらず、あくまでも俗説の1つとなっています。

③階級の名残
平安時代の宮内省には、主に宮廷の建築に関する仕事を担う「木工寮(もくりょう)」という組織があり、階級をつけて出入りを許可していました。
「守(かみ)=大工」、「介(すけ)=桧皮葺き大工」、「壤(じょう)=金物大工」、「属(さかん)=壁塗り職人」と構成した四等官の一つとして、壁塗り職人に「属(さかん)」という役職がありました。漢字の「左官」は当て字で、古くは「沙官」「沙翫」(しゃかんとも呼ぶ)と表記されていました。
現在では、この説が最も有力ではないかと考えられています。

 由来には、諸説あるようですが、折しも、今年の大河ドラマ「光る君へ」の舞台が平安時代✨
マイブームの平安時代へ思い馳せるひと時でした。