岐阜市街散歩 「ハルピン街」(1)

1月19日(金)
午前 混み
午後 混み

1月20日(土)
午前 小中空きあり
午後 空きあり

1月22日(月)
午前 空きあり
午後 空きあり

 ハルピンは中国東北部黒竜江省(かつての満州)にある地名で、人口は1000万人を優に越える大都市である。そのハルピンが岐阜にもあることを知っている人間はもう少なくなってしまったが、70歳以上の老人であれば「ああ、あの岐阜駅前にあるごみごみした界隈か」と、だれもがうなずく地名である。

 現在は繊維問屋町と呼ばれているが、かつての賑わいはあとかたも無くなって、駅前の一等地であるにもかかわらず人影もまばらなゴーストタウン化してしまった。

 戦後旧満州から着の身着のままで引き揚げてきたひとびとが、駅前の焼け野原に、金崋山から切り出した材木をつかって、丸太小屋を建てて住んだのが街の始まりらしい。

 やっとの思いでふるさとの岐阜に帰って来たというのに、飛騨や奥美濃のオジ坊(岐阜弁で次男三男)にとってはおいそれとふるさとに帰れる事情ではなかった。ただでさえふるさとは働く場所もなく、多くの日本人がそうだったように、満足に食える状況になかったのだ。

 途方に暮れてはいたものの、いつまでもぶらぶらしているわけにもいかないし、なんとか食いぶちをつくらなければならない。そこで手っ取り早く行える商売といえば闇商売の食い物屋と飲み屋しかない。初めは飛騨のどぶろくや合成酒のカストリを売り出したまではよかったが、規制が厳しくなっていつまでもそんなもので生計を立てるわけにもいかなくなってしまった。

 そんななかにぼろ布や古着を売っていた者がいて、それが飛ぶように売れたらしい。リーダー各の人物が「これだ!」と闇市で始めた商売がその後の岐阜アパレルの土台を築いたそうだ。

 文章が長くなってブログのページをはみ出してしまいそうだから、今回はここまでとし、次回のブログでつづきを書いてみたいとおもいます。

以上。