12月25日(水)⛅
午前 混み
午後 空き有り
12月26日(木)⛅
午前 混み
午後 空き有り
12月27日(金)⛅
午前 空き有り
午後 空き有り
最近は寒気が街にも流れてきて、早朝の長良川堤防を走っていると、霧の中に突っ込んでしまうようなことがある。
霧は歌謡曲にもよく取り上げられていて、「霧の摩周湖」とか「霧の中の少女」「夜霧のブルース」(年代がかなり古くて歳がバレてしまう)のようにロマンチックなものとして捉えられている。たしかに夜明けの長良川を覆う朝霧に、朝日が当たっている景色、その向こうに浮かぶ金華山は絶景と呼ぶに相応しい。
そんなソフトな霧は「まァ、綺麗!」と叫ぶことも出来るだろうが、山を登っていて霧(ガス)に巻かれることほど恐ろしいものはない。遠くの山の雲海は綺麗だが、視界2~3メートルの濃い霧になると足元さえ見えづらくなってしまう。そうなると登山道が消えてしまうから自分がどこにいるのかさえ分からなくなってしまう。最近はスマホにGPSのアプリを入れておけば道迷いの心配は少ないが、それでも実際に景色が見えないとなると、暗闇の中を歩いているのと同じことになってしまう。
山の霧はまだ良い方だが、海の霧はもっと恐ろしい。海霧を経験することは一般の人間にはなかなかむつかしいだろうが、わたしは若い頃何度も出会ったことがある。海では霧は流れるものではなく雨のように「降る」という。陸上でも海でも霧の原理(蒸発した空気中の空気が凍る)は同じだが、陸と海では水分の絶対量が違うから、海の霧は流れるのではなく降ってくる。だから山のガスは濡れることはないが、海の霧は降られるとベトベトになってしまう。しかも寒い。 画像は奥美濃能郷白山の夜明け。晴れていれば正面に岐阜の街がみえるのだが、霧に覆われていて何も見えない